多賀城人物伝 歴史年表
        多賀城にゆかりのある人物と多賀城に関わる年表
 
 時代  西 暦    年  号       出      来      事 
 奈良
710 

724

737

749

762

774


780

782

785

791
 和銅 3年

 神亀 1年
  
 天平 9年

 天平感宝元年

 天平宝字6年

 宝亀 5年


 宝亀11年

 延暦 1年

 延暦 4年

 延暦10年
  平城京に都を移す

 多賀城がつくられる(上記写真の多賀城碑【壺の碑】に刻まれている。

 大野東人、陸奥国から出羽柵に至る直路を開こうとする。多賀柵の初見

 陸奥守百済王敬福、小田郡(現涌谷町)で産出した金を献上する。黄金山神社

 多賀城碑建立。石碑によればこの年、藤原朝獦が多賀城を修造する。

 海道の蝦夷が桃生城を襲う。以後、38年に渡り、蝦夷と中央政権との間で戦いが続く
 (海道蝦夷とは陸奥国の海沿いに住む蝦夷)

 伊治公呰麻呂が多賀城を襲い、火を放つ

 大伴家持、陸奥国按察使・鎮守将軍となる

 大伴家持、多賀城において病没

 蝦夷征伐のため、10万の大軍が送り込まれる。
 平安
794

802

862

869

10世紀
中頃以降

995

1051

1083

1186

 延暦13年 

 延暦21年

 貞観 6年

 貞観11年




 正暦 5年

 永承 6年

 永保 3年

 文治 5年

 平安京に都を移す

 坂上田村麻呂、胆沢城を造り多賀城から鎮守府を移す。

 源融、陸奥出羽按察使に任命される。

 陸奥国大地震、城下に津波が押し寄せる。

 この頃以降、それまでの多賀城は維持されなくなる。


 藤原実方、陸奥守として赴任

 前九年の役(~1062年)

 源義家、陸奥守となる   後三年の役(~1087年)

 西行、再び陸奥国を訪れる。
 室町

 鎌倉 
1192 


1333


1337


1573
 建久 3年


 元弘 3年
 正慶 2年

 延元 2年
 建武 4年

 天正 1年
  源頼朝、征夷大将軍となる。


 北畠顕家、義良親王を奉じ陸奥国府に赴く



 北畠顕家、陸奥国府を放棄し、霊山に移る

 室町幕府滅びる
 安土
 桃山
1590

1600
 永禄18年 

 慶長 5年
 八幡氏、留守氏の所替えに従い、八幡を去る

 関ヶ原の戦い
 江戸 1603

1639

1689

1694

1703

1868
 慶長 8年

 寛永16年

 元禄 2年

 元禄 7年

 元禄16年

 明治 1年
 徳川家康、江戸幕府を開く
 仙台城がほぼ完成し、伊達政宗入城する。

 天童頼長、涌谷伊達家に戻り伊達安芸宗重を名乗る。(伊達騒動の中心人物)
 
 松尾芭蕉(壺の碑末の松山野田の玉川浮島)などを見る 

 徳川光圀が伊達綱村にに書簡を送り多賀城碑の覆屋建設を勧める。

 伊達吉村、仙台藩5代藩主となる。

 戊辰戦争が終り、明治と改元
 
 明治
 大正

1889

1893

1922
 明治22年

 明治26年

 大正11年
 多賀城村ができ、役場を市川村玉川寺に置く 

 正岡子規、与謝野鉄幹が多賀城を訪れる。

 多賀城が多賀城廃寺跡ともに史跡に指定される
 昭和
 平成


1943 

1945

1951

1960

1961

1966

1971

1980

1990

1993

1998

2012

2024
 
 昭和18年 

 昭和20年

 昭和26年

 昭和35年

 昭和36年

 昭和41年

 昭和46年

 昭和55年

 平成 2年

 平成 5年

 平成10年

 平成22年


  多賀城海軍工廠開庁

 第二次世界大戦 戦争終結

 町制施行

 多賀城あとの発掘調査事業が開始される

 伊東信雄を団長として多賀城廃寺跡の発掘調査が開始される。

 多賀城跡・多賀城廃寺跡に指定される。

 市制施行

 館前遺跡が特別史跡に追加指定

 柏木遺跡が特別史跡に追加指定

 山王遺跡千刈田地区が特別史跡に追加指定

 多賀城碑が国の重要文化財に指定

 多賀城発掘調査50周年  平城遷都1300年

 多賀城創建1300年
 
大野東人(おおのあずまびと)〔?~742〕
  多賀城を創建し、東北地方における政治・軍事の最高責任者としての任務を果たした。
  また、天平十二年(740年)に九州で起きた藤原広嗣の乱を平定するなどし武人として活躍した。
  多賀城碑にもその名が刻まれている。

百済王敬福(くだらおうきょうふく)〔697~766〕
  朝鮮半島の百済王族の子孫である。
  陸奥守在任中、金九百両を聖武天皇に献上しました。
  これによって東大寺の大仏は無事完成し、感激した天皇は年号を「天平感宝」に改めました。

藤原朝獦(ふじわらあさかり)〔?~764〕
  東北地方の全権を掌握し、雄勝城(秋田県大仙市)、桃生城(石巻市)を造営、さらに多賀城と秋田城の大々的な
  改修を行い、対蝦夷政策を強行に進めた朝獦ですが、反乱を起した父仲麻呂と行動を共にし、天平宝字八年(764年)
  近江国で最期をとげました。

大伴家持(おおともやかもち)〔718頃~785〕
  五世紀以来の名門大伴氏の嫡子として生まれ、伊治公呰麻呂(これはりのあざきみまろ)の乱によって
  混乱した陸奥国を立て直すため多賀城に派遣され、この地で亡くなりました。
  歌人としても有名で、万葉集の編者と言われています。

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)〔758~811〕
  多賀城に赴任した征夷大将軍 坂上田村麻呂は、長期にわたった蝦夷と中央政府との戦いを収束させ、
  胆沢城(奥州市)、志波城(盛岡市)を造営しました。
  後世、英雄として多くの伝説が生まれ、また、田村麻呂創建と伝える神社が全国に分布しています。

 源  融 (みなもとのとおる)〔822~895〕
  嵯峨天皇の第八皇子として生まれましたが、源の姓を与えられ、光源氏のモデルの一人とみなされています。
  鴨川のほとりの邸宅に塩竈を模した庭を造り、海水を運ばせて藻塩を焼かせたと伝えられています。
           しおがまさま 神々の月灯り その二 源融(みなもとのとおる)


藤原実方(ふじわらさねかた)〔?~998〕
  清少納言と交遊をもち、歌人として有名であった。
  陸奥守としては異例の高い地位で赴任しました。
  このことについて後世、一条天皇が「歌枕を見て来るように」と実方に命じたから、という伝説が生まれています。

源 義 家(みなもとのよしいえ)〔1039~1106〕
  前九年・後三年の役で活躍した武将です。
  空飛ぶ雁が列を乱すのを見て、伏兵を察知した話など、数多くの逸話が残っています。
  源頼朝や足利尊氏の祖先にあたることから武将の理想像とされました。

西  行(さいぎょう)〔1118~1190〕
  俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)といい、鳥羽上皇の警護にあたる北面の武士が、23歳の若さで出家します。
  仏道かたわら諸国を巡り、多くの歌を残しました。
  その生き方は後世の宗祇や芭蕉などに大きな影響を与えたと言われています。
          西行戻しの松

源 頼 朝(みなもとのよりとも)〔1147~1199〕
  鎌倉幕府を開き、初めて武家の政権を樹立した。平家を滅ぼしたあと、自ら陣頭に立ち、全国の武士
  を大動員し、平泉藤原氏を滅ぼした。その往還に、多賀国府に立ち寄っています。

北畠顕家(きたばたけあきいえ)〔1318~1338〕
  南北朝時代の公卿で、後醍醐天皇により陸奥守に任じられ、義良親王(のりよし)〔後の後村上天皇〕
  と共に陸奥国府に赴任しました。
  武将としても活躍し、足利尊氏を九州に敗走させるなどの働きをしますが、21歳の若さで戦死しました。

松尾芭蕉(まつおばしょう)〔1644~1694〕
  「漂泊の詩人」松尾芭蕉が「おくの細道」の旅に出たのは元禄二年(1689年)、今から320年前のことでした。
  芭蕉が訪れた地は新たな名所として今もなお多くの人々を引きつけています。

徳川光圀(とくがわみつくに)〔1628~1700〕
  那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)や多賀城碑の保存に力をつくした徳川光圀は、古墳の発掘調査
  も行っています。 那須国造碑との関連を求めて侍塚(当時は車塚〔栃木県太田原市〕)古墳を発掘調査し
  ました。 学術的なものとしては日本最初の例とされています。
          西山荘:水戸黄門隠居の地



 正岡子規と多賀城

  明治の俳人・歌人であり、「はて知らずの記」紀行のために、芭蕉の200回忌にあたる明治26年
  7月30日に多賀城を訪ね、新聞「日本」に7月から9月まで連載しています。
  子規は明治22年に喀血して倒れており、病臥の身を押して、死を覚悟しての旅だったのです。
  「小さき堂宇を建てて風雨を防ぎたれば格子窓より覗くに文字定かならねど流布の石櫂によりて
  大方は兼ねてより知りたり」
         
              「のぞく目に一千年の風すゞし」

          
              多賀城碑 壺碑(つぼのいしぶみ)
              


              



                                       



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