東日本大震災/東北地方大平洋地震 3.11の悲劇 自分の記録


 東日本大震災
   2011年(平成23年)3月11日(金)14時48分18秒
  その時、大地は大きく揺れた。  ドンと下から突き上げられたかと思うとぐらぐらと大きく揺れた。
  それは、1978年の宮城県沖地震(M7.4)を遥かに越えるものだった。
  その揺れは長かったせいか恐怖で固まった。
  「俺はここで死ぬ運命だったのか!」と心の中で死を覚悟していた。
  それは高いビルに居たことで倒壊するだろうと思ったからだった。
  長い揺れの中で、子供・妻・両親・・・色々な事が頭の中を巡った。
  これを世間では「走馬灯のように」と表現するのだろう。

  その日から嘗て無い経験と沿岸部で起きた地獄のような光景を目にすることになった。
  この映像は、誰もがTVやネットで見たことでしょう。
  気象庁はこの地震を東北地方大平洋地震と名付けた。
  震源地は宮城県牡鹿半島の東南東沖130Kmの海底でマグニチュード9.0という観測史上最大を記録した。
  また、波高は10mから最大遡上高40.5mにも及ぶ脅威的なものだった。
   
  それにより東京電力福島第一原子力発電所はかつてない最大規模の原子力事故を起こした。
  炉心溶融及び水素爆発が発生し放射能が大量に外へ漏れだし事態は深刻化している。

  死傷者は2011年12月22日現在、死者15,843人、重軽傷者5,890人、行方不明者は3,499人と発表されている。
  しかし、現在でも新聞には毎日、死亡者が記載されている状態だ。
 

   追記、2014年3月11日
   あれから三年が過ぎた。TVでは各局特集を組んでいる。 
   あの後、我が家は地震での影響が大きく地盤がくずれ建て替えを余儀なくされた。
   仮設住宅は、津波で家を失った人が優先に入居したため私が申し込んだ時はどこも空きが無くなっていた。
  そのため見做し仮設として、一般住宅を借りることになったが、ほとんどが予約で空き家が無かった。 
  締め切りまじかで何とか近くに見つけ、家族が多いため二軒の借家に分かれた。
  そして昨年一月、地盤の改良工事をし新築まで漕ぎつけた。 
  定年まで数年しかないのに大きなローンを抱えてしまった。
  しかし、いろいろあったが同じ屋根の下にまた家族で住むことができた。
  ただ、海沿いの親戚はいまだに仮設住宅にいる。 
  七ヶ浜は意外と報道されていないが、海岸沿いは全滅だった。
  津波を察し逃げたことが命を救った。 まだまだ見通しは立っていない。
  そして原発も未だに放射線を放っている。 妹夫婦は相馬にいるが、微妙な位置だ。
  隠し続けた国と東京電力は愚かな選択をしたのかも知れない。
  
  判断力に欠ける行政の影響で、路頭に迷う人々はまだまだ減らない。
  多くの要因があることはわかるが、実態を見極めよ。


      ここで使用された写真の無断転記はご遠慮下さい。
      

      

                                      私が撮影したものです。
感謝の思い 

ボランティアの過酷な労働も・・・
警察は、警邏巡回や信号が点かない交差点では半年が過ぎても炎天下又は豪雨の中でも休まず交通整理をしてくれました。
機動隊・自衛隊は遺体の捜索や仮設浴場の提供。
海上保安庁はくまなく湾内の遺体捜索・・・管区を越えて来てくれました。
地方自治体は各県の市町村から市役所に派遣され、各セクションで受付や案内をしていました。
医療現場では、日本全国から医師・看護師・放射線技師・検査技師などあらゆる部門で活躍していました。
また、水の提供にボーリング会社が無償提供・・・
まだまだありますが、みなさんに感謝感謝です。



 

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