荒脛巾神社 多賀城
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| 示している 「先代旧事本紀大成経」はナガスネヒコが大和で敗れ陸奥に退いたとき、民に塩を焼いて施し、軍船を司った。 よって陸奥の鎮としたのが今の鹽竃の神社である。」と述べている。 菅江真澄が「すみかの山」で血鹿の浦を訪れたとき故郷のアラハバキと同じだと言ったのはこのことを指している。 また多賀城跡の南側に「南宮」があり製鉄とのかかわりを示している。 南宮社と中山神社は製鉄・冶金の神である金山彦を祀っている。 「あらはばき」の石碑から南に細い坂道を下ると、左側の民家の庭先にその神社は鎮座しています。 ![]() ![]() ![]() 境内にはお地蔵様があり 石碑には、聖徳太子と書いてあります |
| 社殿には、トタン板で屋根が掛けれていました。 雪の上に足跡が残っていましたので、今でも訪れる人がいるようですが、かなり傷んでいます。 説明には 本神社の勧請は相当に古く、江戸時代には、伊達家から社領が寄進されるなど由緒の深い神社である。 鹽竃神社の末社の一つとされ、願をかけると腰より下の病気が治ると言い伝えられている。 2010年5月に新たに撮影しました若干補足説明あり多賀城/荒脛巾神社 あらはばきトップへ ![]() |
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